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西安観光 広仁寺

西安チベット仏教寺院
広仁寺がラマ寺とも呼ばれ、古い都の西安をとりかこむ明代城壁の内側、北西の曲がり角に位置している。陝西省内にある唯一のチベット仏教ゲルク派(別称は黄教)の寺院であり、今まですでに三百年余の歴史を持っている。1703年に清朝の聖祖康熙帝が西の辺陲を視察する際、民族的結束と多民族的国家政権の統一をいっそう強固にするために、西北地方の一大要塞である西安で広仁寺を創建するようにとわざわざ指示を下した。西北地方にある各民族の一致団結と安定を固めることは皇帝の本意であった。その後、歴代のダライ・ラマとパンチン・ラマにとどまらず、チベット、モンゴル、青海、甘粛などからきた活仏ラマら上層の人々が朝拝に上京する途中、この寺が行宮として利用された。歴史上、康熙帝乾隆帝西太后、康有為、梁啓超、程潜、楊虎城などの名人がかつて参拝にきたことがあるが、現在でも各階層の名流がつねに訪れる寺院として栄える。
広仁寺は漢民族地方で咲き誇る雪蓮花のごとく、高潔な息吹をもって各地の信者と観光客を巡礼か遊覧に来ようと引き付けている。1703年、清の聖祖玄烨は国境地帯の防衛と安全強化という大局に基づき、陝西地方を大清帝国が西南のチベットと西北のモンゴル地方を営む一大軍事拠点に建設しようと目ざした。10月12日から25日まで陝西地方を巡視したり、山川と黄帝陵を祭祀したり、学校と賢人を奨励したり、被災者を救援したりして、広く民望を収めようとした。そのほか、駐在する軍隊を検閲してその軍功を励ましたと同時に、各地にある諸部のモンゴル首領を接見してそれぞれに恩賞や官位を授けた。これら一連の動きにおいて、「天下に心を存して西の陲を眷顧する」という心掛けおよび「惟茲で隴の区に関して、実は疆を封じる重みに切する」という意図をしばしば強調していた。
戦略的な安全確保を目ざして政治、経済、軍事など多岐にわたった措置を積極的に取り入れた以上に、康熙帝は「俗に因って民を宜しくする」という方針を実施していた。「武を閲する頃」において、西安城内の地形を見回って爽やかな高地を一ヶ所選んだあと、朝廷が金を支給してここで仏教寺院を建立するようにと詔を下した。霊鷲山のような霊山聖境、香城浄土を設けて、これをもって「五陵六郡の衆」と「外藩属国」を引き付け、ひいては「王化を助け」「民庥を錫し」て辺境ないし全国を「長く治め久しく安んずる」という目的に達そうとした。また、この寺は長安の「満州城」内に住むモンゴル族チベット族の上層階級や親王やベイレなどに提供した宗教施設でもあった。康熙帝は広仁寺という名を賜り、「慈雲西蔭」の文字がある勅額を残し、『御製広仁寺碑』の銘文を撰した。寺名と扁額と直筆の碑銘は広仁寺が康熙帝から得た三大賜物である。広仁寺を建てた康熙帝の本意はモンゴル族チベット族の習俗にしたがって西北と西南の辺境地帯を綏定することにあるゆえに、寺が竣工してからすぐラマ教ゲルク派の「縁起性空」という学説を広げる専門的な道場に欽定された。
広仁寺は内地と辺陲地方での各民族が友好往来するための掛け橋であり、ハーモニー社会を構築して民族的求心力を凝集する宗教的場所でもある。我が国のチベット仏教文化のワン・スポットとして、貴重かつ豊富な文物、深みと重みがある文化、そして優雅な趣に満ちた境内に恵まれて、仏教関係の一大名所旧跡に数えられる。
八宝塔縁起
広仁寺の住持であるニンチンザムス上人が釈迦牟尼仏の一生の八大功徳を記念する八宝塔を建立するようにと発願して以来、多くの信者から援助を得て戊子年の秋にようやく大願成就するようになった。貴重な漢白玉に木目細かい彫刻を施してできた宝塔はその荘厳さに圧倒される。チベット仏教の伝統的な儀式をきちんと踏まえて安置し開眼を行い、それから数多くの経典と神聖な仏具を入れこんだ。安置した吉日に、これ以上にないほど法悦がみなぎり、祥雲が端整に照り、広く衆生を済度して福を賜り民を恵むことになった。これをもって六道の衆生を功徳して、苦から離れて楽を得させ、幸福と知恵を増進させ、さらに、社会の調和をとり、国を泰くして民を安んずることを願ってやまなかった。
千仏殿
広仁寺千仏殿は特に念入りに作られた仏殿として全中国でユニークなものであり、建物の内側にあるデザイン、八枚の吉祥図、雲、龍などはいずれも手作りの木彫で完成された。あわせて黄金を4.6キロも使った。建物の中にサンスクリットチベット文字モンゴル文字、漢文などの文字で刻んだ経文があり、中華の多民族的大家族の調和を象徴している。ここはラマたちが朝晩読経する場所でもある。2006年10月25日、中国仏教協会の副会長ジャムヤン・トブタン活仏が千仏殿の開眼にもっぱらおいでになった。
千仏殿のそばに西安城壁につながる小さい門がついている。西安城壁内の北西の角でこの寺を建てたことは、当時の創建者が苦心を重ねた結果である。北西の角で寺を建てるとは西北地方を鎮めるという意味になる。
殿内ではツォンカパ師弟三尊が祭られている。ジャツォジェとコクジュジェ(パンチェン大師一世)は彼の二大弟子であった。この三体の仏像はミャンマーの貴重な紅の木を彫刻してできたものであり、殿内の千仏は台湾からの金メッキ銅像である。
目隠しの塀
高さ6メートル、幅10メートル、厚さ1メートルを誇る広仁寺の目隠しの塀は宮殿や寺院の一番目の障壁であり、門を遮るような機能を果たす。これは皇族寺院の特徴であり、来訪者が直ちに入らずに、目隠しの塀を巡ってその両側から入るように導く。塀の頂は煉瓦を重ねてできた軒であり、瓦葺の屋根の下、1メートルの所に石煉瓦で積み上げた厚さ一尺のものがあって、東西に平行して貫いている。塀の真中は浮彫の丸まった龍の柄で飾っている。塀についた煉瓦彫刻は生い茂った花の模様であり、さらに仏教の十八羅漢、釈迦牟尼像および龍の図案が整って嵌めこまれている。真に迫った造形は生き生きして、煉瓦彫刻の絶品となり、歴史的価値とともに芸術的価値も備わっている。
広仁寺の山門の内側に立った目隠しの塀には、精緻で美しい銅製の壁画が掛けてある。この絵は『蒙人御虎図』とも呼ばれ、チベット語では「ソポダツェ」と言い、チベット仏教の伝統的な吉祥図案である。晴れ着を着用したモンゴル人勇士が鉄の鎖で猛虎を一頭引っ張るという画面が描かれていて、チベット仏教寺院ではつねにみられる壁画の一つである。モンゴル人勇士、鉄の鎖、猛虎はそれぞれ仏教の密教高部三怙主を象徴するものだといわれる。すなわち、勇士は十方三世にある諸仏の大悲の化身である観世音菩薩を、猛虎は諸仏の知恵の化身である文殊菩薩を、鉄の鎖は諸仏の力量の化身である金剛手菩薩を象徴している。三怙主からの庇護を祈祷して、邪気を払い福を引き、そして最終的には無縁の慈悲、無垢の知恵、無敵の力を獲得するようにと願うことは、この絵の表現意図である。庭の壁とか渡り廊下に描かれるのが一般的であり、勇士と猛虎が外側もしくは門に向かうというのは、一切の災禍と障害を払い不祥事を永遠に絶やし疫病を予防することを表す。この壁画はゲルク派寺院の風格を表現するものでもある。17世紀の中葉、ゲルク派は正法を貫き正法を広げるのに異端勢力と戦うところへ、モンゴルの指導者コシカンが味方してくれて、ようやく敵側を撃退してチベット地方で正統的な地位を確立するようになった。蒙人御虎図はこういう主立った歴史的事実を映すものとして、ゲルク派の僧侶と民衆からの敬いと崇めを受けている。なお、この絵はモンゴル族チベット族の歴代の睦まじい仲を自分の目で見ている。
建築
広仁寺ではチベット密教の黄教寺院特有の雰囲気が立ちこめる。歴史の塵を軽く払って、素朴で古風な建物、荘厳な経堂と仏像、静かでありながら幽かに漂う蘭の香りに溢れて、いつの間にか心が明るく澄ますようになる。
広仁寺の建物が巧みに設けられて、全体からみると臥龍の形に似通っていて、寺院建築においてはめったにないものとなる。山門から後ろの殿堂までだんだん高く建てていって壮観な勢いを作り上げるのは一般的な寺院のやり方である。それにひきかえ、広仁寺は前から後ろへ建物の高さを逐一減らしていくわけである。具体的な配置とは南から北へ、山門、目隠しの塀、御碑亭、天王殿、東西の廂、本殿、千仏殿、福神殿、応接間、蔵経殿、台所、寮が順番に並んでいる。建築群の総床面積13334平方メートル、室数およそ300、空から見下ろすとまるで臥龍のようにみえる。この寺の設計者がいかに丹精を込めたかを窺うことができる。
広仁寺の雪景色
厳格な配置と秀麗な建築は広仁寺の一エッセンスである。山門の屋根で向かいあって立つ二頭の鹿、鹿の間に置いてある中立法輪、そして門前にそびえる旗竿はチベット仏教の特色を鮮明に表現している。
広仁寺の局所
上がりしびが八つ付いた康熙帝ゆかりの御碑亭
広仁寺の全景
天王殿∕観音殿
殿内の真中に千手観音、両側に四天王が祭られている。東方は持国天、南方は増長天、西方は広目天、北方は多聞天である。
本殿と局所図
緑鍍母と文殊菩薩普賢菩薩を供える。
金瓦殿
金瓦殿の両側はダライ・ラマとパンチェン大師の行宮である。一階には12歳の等身大釈迦像と高さ9.9メートルの弥勒像が祭られ、二階は蔵経閣である。金色に輝く屋根は金メッキ銅瓦で作られて、西安景色のライトスポットとなり、陝西省唯一の金瓦殿である。
 金瓦殿で納めるものとして、樟に彫刻を施して9.9メートルの高さを誇る弥勒像、数多くの精緻な手作りタンカが挙げられる。二階にあるお経を納める戸棚はすべて貴重な紅の木で作ったものである。
中国初めての黄色い福神千仏殿
この供物を常に行うことは、貧窮を退治したり、福徳を蓄積したり、糧に資したりするのに便利な事業法門である。
2008年、金融危機の災害が地球全体の衆生に波及していた。広仁寺は商売の盛り返しと庶民の裕福をひたすら願って、危機が一日も早く消えて、金銭運が隆盛に向かい、家と国が日増しに繁盛していくことを祈っていた。そのうえ、多くの仏門信者を従えて境内にある東の廂でチベット仏教五福神の筆頭である「黄色い福神」の仏像を千体供え、毎日読経して、つねに法号を宣って、衆生の幸福と財産の増長を祈祷していた。福神殿はすべて貴重な名木を手で彫ってできたものであり、その彫刻が木目細かく、技法が抜きんでていて、金箔を貼りつける作業がすでに仕上がった。ここは福を祈り財を納める巡礼者があこがれる所となり、数回にわたって全国からきた多くの名高い実業家をもてなしている。
毎年、陰暦の大晦日と元日が広仁寺黄色い福神の供養日に決められて、次に来る年では幸福と知恵の両方増長、財産の増加、吉祥と健康を祈祷する大型法会を催す。
巡礼者が千元を寄付したら、福神像を一体供えることに認められる。
放生池
広仁寺には放生池(竜眼泉)が二つあり、寺院の全体からみると臥龍の両眼にそっくりである。日は高く、放生池のほとりに緑樹の影が重なって揺れている。こういうムードに置かれてこそ、人々は慈悲と憐憫の心に満ちた生命の本義を感じ取るようになる。
十相自在図(ナンキューワンタン)
民国時代に陝西省主席の任にあたった楊虎城がファンドを下付して広仁寺の西の廂を修復する際に、時輪金剛心呪という念入りな煉瓦彫刻が完成された。この絵は七つのサンスクリットから構成して、上は月日、下は蓮華座である。七つのサンスクリットと月日と蓮華が合わせてちょうど十相になるから、十相自在図と呼ばれる。この絵は平穏無事、吉祥、魔除けの意味を持ち、チベット仏教の典型的なマークである。
仏像
千手観音
大慈大悲千手千眼観世音菩薩像は高さ6.6メートル、重さ2トン、ロシアの貴重な椴松を彫刻してから全身に金箔を貼りつけてできたものであり、黄金に輝いている。観音像は全部で四十の手が備わる。なお、仏教は二十五の因果関係を講じる。二十五に四十をかけたら千になり、手一つに目一つずつがつくゆえに、千手千眼観世音菩薩と呼ばれるようになる。千手観音は手が多く、目が多く、知恵が多く、慈悲が多く、求めが有れば必ず応じ、慈悲のきりがなく、願力が広くて深い。頭の上に阿弥陀仏が載せてある。
緑鍍母
伝説によると、文成公主が嫁いだとき12歳の等身大釈迦像をチベットに持ち去ったという。唐の太宗皇帝は仏座が空いていることに気付いて、どういう仏像を供え補うかに悩んでいるところに、緑鍍母が「別の仏像を祭らなくても結構です。お釈迦様の代わりに教化と衆生済度を行わせていただきたいです。」と口を開いて話した。それからこの緑鍍母像は神州大地の隅々まで名を馳せるようになった。これによって、広仁寺は緑鍍母の全国的な主要道場となり、青海、甘粛、内モンゴルチベットなどから多くの巡礼者が距離の長さをものともせず、緑鍍母像を参拝にきた。モンゴルとチベット地方では、西安の広仁寺に疎いかもしれないが、長安の緑鍍母ときたら皆知っているほどである。
舎利塔
2009年8月1日、タイの居士であるナンタナ女史が広仁寺に釈迦牟尼仏の真身舎利を贈った。陝西省偉志コーポレーションの向炳偉代表取締役が釈迦仏の骨舎利を納める舎利塔を造るのに百万元を寄進した。この舎利塔はチベットで誂えて精美を極めた手作りの金メッキものである。
マニ車
マニ車チベット仏教における祈祷と修行の常用仏具の一種であり、マニ転経輪とも呼ばれる。ハンディータイプと寺院の棚に固定するタイプという二種類に分かれるのが普通である。
広仁寺のマニ車は外形が円筒で、真中に筒を回す心棒が貫く。円筒の表面にチベット仏教の六文字真言が刻まれているのみならず、筒の中にも経文が入っている。1回回すと十万回六文字大呪文「オンマニベミ」を読んだことになる。
44のマニ車に取り囲まれた大殿はティピカルなチベット仏教のスタイルを思う存分に示している。チベット仏教においては、六文字真言を唱え続けたら輪廻の苦から解脱することができると思われる。
広仁寺の伝統的な法会の時間割
毎月の1日と15日に伝統的な法会。
元日から上元まで大型法会。
1月8日の夜6時に1万台のすう油灯をともし、盛大な福祈り法会を営む。
3月26日~29日、聖なる緑鍍母会合。
4月8日~15日、寺の僧侶と衆人が全員精進料理を食べ、マニ法会を催す。
10月24日~26日、ツォンカパ創始者を記念する法会。
10月25日の夜6時に点灯祭りを行い、寺を巡って読経するイベントを主催。
晦日の夜、山門を徹夜オープンして、福神を供えて新年の福祈り法会を挙行。
追伸:以上の期日はすべて陰暦に限る。
広仁寺
陝西省内にある唯一のラマ寺である。
国務院が国レベルの重要寺院に登録した。
康熙帝が西へ巡幸に出かけたとき、勅命を下して成立した仏寺である。
ダライとパンチェンが朝拝に上京する途中の行宮である。
乾隆帝西太后が参拝したところである。
全国無二の緑鍍母主要道場である。
精緻で全国でもユニークな千仏殿を所有している。
12歳の等身大釈迦像を祭っている。
陝西省最大の千手観音像を供えている。
文成公主王昭君長安で奉じたところである。
西安市の重要な文化遺産保護機関である。
西安市観光協会のメンバーである。
国家3Aクラスの観光スポットに認定された。
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