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小雁塔は薦福寺の境内にあります。この寺は唐玄宗皇帝の娘襄城公主の住宅と開化坊の半分を占めて、長安城のほぼ中央にその偉容を誇っていました。684年、則天武后が亡くなった夫、高宗皇帝の百日忌明けの行事を機に、その冥福を祈るために建立した寺です。 最初、薦福寺と名付けられ、唐中宗の文明元年に献福寺と改名され、則天武后の天授元年(690年)に旧名に復しました。この寺は唐の末期、戦乱で破壊されましたが、その後、宋、元、明、清の各時代に修理されました。範陽の出身である唐の名僧義浄は671年に洛陽を出発し、広州から海を渡ってインドに到り、30余りの国々を訪ねました。彼はインドに25年間滞在して多くの経典を研究し、その精髄を身に付け、695年、最も大切なサンスクリット経典のうち、400部を長安に持ち帰りました。義浄法師は薦福寺を経典翻訳の道場として706年から728年までの間に56部のサンスクリット経典を漢訳しました。そして、「大唐西域求法高僧伝」という名著を著わしました。この本は中国とインドの仏教文化交流を県境する上で貴重な労作です。唐の開成五年(840年)に日本の留学僧慈覚大師円仁がこの寺に逗留していました、円仁は長安に学び、多くの経典を日本に伝えたばかりでなく、帰国後、延暦寺の堂塔を整備して、日本の仏教に多大な功績を残しました。

小雁塔は唐の景竜年間(707-709)に建造された煉瓦造りの塔です。もともとは15層でしたが、明の嘉靖三十四年(1555)に陜西省地方を襲った大地震の際に、上2層が崩壊し、現在は13層で、高さは43mあります。所謂楼閣式の大雁塔に対して、小雁塔は軒と軒の間隔が狭い密檐式の塔です。煉瓦の隙間には石灰と糯米が塗り込められています。塔身の幅は上に上るにつれて次第に狭くなっていて、緩やかな印象を与えます。塔の外形は古代ギリシア建築の柱にみられるようなすっきりとしたエンタシスの輪郭を呈しています。一階の南北に石門の上の横木には蔓草花紋と天人供養の図像が刻み付けられています。その浮彫の技法は精彩を極め、線は伸び伸びとしていて、唐代の優れた芸術遺産のひとつです。小雁塔に残っている重要な石碑の中に明代の王鶴の碑があります。これは彼が1551年9月28日に書いた有名な歴史の生地です。これには、「薦福寺は唐代に建立され、明代の成化二十三年(1487年)に起こった大地震のため、塔身の真中に下から上まで一尺ほどの裂け目が生じた」、しかし「紋の正徳年末、また大地震があって、この時、塔身が一晩のうちに自然に以前の状態に戻り、まるで神様がその裂け目をくっつけたようだ」という話です。当時の人たちはこれを「神合」と称し,神様の力でくっついたと信じました。

小雁塔には大きな鐘があります。鐘は昔、時刻を告げるためのものでしたが、この鐘の音は毎朝遠くまで響いて、人々の目を覚ましていました。そして長安八景のひとつとなり、雁塔の晨鐘と呼ばれました。小雁塔は1965年に修理されました。この際、塔の内部に階段が設けられ、塔身を強化するため、二、五、七、九、十一階に鉄輪、鉄筋が嵌められて、塔頂には避雷針が立てられました。 今は最上階まで登って西安街を眺望できます。現在の薦福寺境内にはこの煉瓦造りの塔のほか、1192年に鋳造された重さ10トンの鉄鐘があります。塔の南の庭園にはアカシアの老木と石碑、北には白衣閣という建物があります。この中に塔についての資料や写真が展示されていて、小雁塔と薦福寺の建造史と経歴を研究するための重要な資料です。 
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