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新疆のガイド|トルファン旅行観光ガイド

トルファンウイグル語で「くぼんだ土地」の意味があります。トルファンは、シルクロードの砂漠に入る都市です。トルファンは中国語で“火洲”と呼ばれ、夏は酷暑で有名で、かつて最高気温49.6℃を記録したこともあります。正午の時間の地表温度は80℃にも達します。ここには、“砂の中でゆで卵をつくり、壁の上でパンを焼く”という言い方があります。旅行をするなら、7、8、9月がトルファン旅行に最も適した季節。この時期は各種果物の収穫の時期です。市の南にあるアイディン湖は、湖面が標高マイナス154メートルと、世界で二番目に低い所にある湖です。世界一は死海でマイナス399メートルです。古来、「火州」と呼ばれ、夏の平均最高気温は38度を越えます。一方、降水量は年間で25ミリと極端に少ないです。北へ向かえば天山の北麓に、南に向かえば天山南路にぶつかっています。その地理的な位置により、古くからシルクロード上最も重要な拠点の一つです。

中国の前漢の時代には交河故城を王城として車師前国が栄えていました。玄奘三蔵法師がインドへ向かう途中立ち寄った時に栄えていたのは高昌国です。唐は、その高昌国を滅ばしここに安西都護府を置いてきました。その後、チベット、西ウイグル国、モンゴル、東チャガタイ=ハン国カシュガル=ハン国、ジュンガル部が支配するところとなりました。
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新疆旅行観光ガイド

新疆ウイグル自治区は、中華人民共和国の北西部にあります。ウルムチは、中国西北部では最大の都市で、全区の経済、政治、文化の中心です。漢族の他、ウィグル、カザフ、キルギスなど13民族が居住です。ウルムチ天山山脈北麓のジュンガル盆地東南縁に位置します。ウルムチという言葉はジュンガル部の言葉で「美しい牧場」を意味します。シルクロートの要地であるウルムチは、東西文化の交流中心です。現在も中国と中央アジア地区、ひいてはヨーロッパと連結の交通要地です。

ウルムチ新彊ウイグル自治区の区都です。新彊ウイグル自治区の略称は「新」です。中国の西北部に位置しています。中国の支配権が及ぶようになったのは漢の武帝の時代に西域都護府が置かれてからです。唐代には北庭都護府安西都護府が置かれていました。新彊と呼ばれるようになったのは、清朝の光緒年間に新彊省となってからです。新彊ウイグル自治区の成立は1955年です。面積は、全国一で、全国面積の六分の一を占め、日本全土の面積の四倍を越えます。最も人口の多い民族はウイグル族で、人口の半分以上を占めています。

漢王朝以来、東西の交通路が開かれ、人や物の往来のみならず、宗教、文化の通り道となり、多くの史跡を残しました。ウルムチは比較的新しい街で、18世紀の後半、清朝ジュンガル部遠征以降、ここ(当時の地名は迪化)を西域管轄の中心にしてからのことです。上に述べた新彊省の成立はこのことをいい、1884年のことです。1952年、モンゴル語で「美しい牧場」という意味であるウルムチと名付けられました。 また、ウルムチはしばしば、「海から最も遠い町」などと言われ、東の黄海からも南のベンガル湾からも北のカラ海からも西のアラビア海バルト海からも2300キロ以上離れている内陸中の内陸にある都市です。タクラマカン砂漠の西端です。パミール高原の北麓。新彊ウイグル自治区の西南部に位置します。タリム盆地の北縁に沿って続く天山南路の西端でもあり、タリム盆地の南縁の西域南路の西端でもあります。両道はここで合流し、パミールを越えてインドへ、あるいは、西北に路をとりタシケント.サマルカンドへと続きます。カシュガルとは、古代イラン語やペルシャ語で「玉の市場」を意味します。玉はクンルン山脈で産するホータンの玉のことです。ウイグル語では「色とりどりの煉瓦で出来た家」の意味があります。
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陝西歴史博物館
 唐代の建築様式を取り入れた大規模な博物館で、収蔵点数37万点。そのうちの六千点が常時展示されている。
 原始社会から明の時代までの長い歴史を代表する貴重な文化財がここにまとまって収蔵されているので、中国の五千年の歴史を一度に巡ることができる。
 特に注目を集めているのは唐代の壁画展示で、300平方メートルの唐代の壁画から34枚を厳選し公開している。いずれも中国では最高級のレベルに達している。
 これらの壁画には宮廷生活や楽隊、儀仗隊、狩猟風景などが多彩に描かれている。これらは、中国古代絵画の最も重要な遺産である。

展品の類別
 博物館には、現在115000点以上が所蔵されている。その内、登録されたものは41000点以上、未登録のものは74000点以上。(整理されていない金銭はカウントしない) 大半の収蔵品は陝西省博物館から譲渡されたものだ。収蔵品を大まかに分けると以下の八種類になる。

一、銅器。3900点以上が登録済み。商周代から秦漢までの物があり、その種類は礼器、楽器、兵器、車馬器、生活用品、生産工具など。中でも典型的な品は、商周の青銅器など。

二、唐代墓葬壁画。400幅以上。1000㎡以上。1952年から1989年に陝西関中地区の25ヶ所あった、唐代の墓から採取したもの。唐代の社会を反映している重要な資料。

陶塑人頭像三、歴代の陶俑。登録済みのものが2000点以上。秦漢、北朝、隋唐、宋元明清の時代の物がある。

四、歴代陶磁器。登録済みのものが5000点以上。有史以前の仰韶文化の彩陶、西周の原始的な青磁、漢代の釉陶、唐三彩、古玻璃、瑠璃、唐秘色磁など。その種類は生活用品、文具、副葬品など。

五、歴代建材。登録済みのものが1000点以上。周秦漢代から唐宋明清のものがある。陶製の瓦、瓦当、レンガ、金属などの建築資材。

六、漢唐銅鏡。登録済みのもの800点以上。種類は豊富で、デザインが美しい。吉祥の文句が彫り込まれたものもある。

獣面具七、金銀玉器。登録済みのもの2000点以上。西周の玉製の礼器、春秋秦公大墓出土の金の啄木鳥、西漢皇后玉婆など。

八、歴代の貨幣。登録済みのもの10000点以上。種類が豊富。西周の貝幣、戦国の刀幣、秦の半両、西漢の金など。

これら八種類のほかに、字画、版本、織物、漆器、石器、印、封泥などもある。
陝西歴史博物館の基本情報
住所: 西安市南郊小東路

陝西省博物館(碑林博物館)
宋の時代に建てられた孔子廟を利用した博物館で、歴代書家の石碑を数多く収集、展示している。館内は「西安碑林」「歴史陳列」「石刻芸術」に分かれている。

漢代から清代にかけての石碑のコレクションは「西安碑林」と呼ばれ、この博物館の展示物のなかで最も有名。王義之、欧陽詢顔真卿、虞世南など、書道の大家の作品が立ち並んでいるほか、玄宗皇帝の書もあり、中国最大の書道芸術の宝庫といえる。また、キリスト教の伝来を伝える「大秦景教流行中国碑」も見逃せない。

1950年に創建された陜西省博物館。現在、8万点以上の収蔵品があり、歴史陳列室、石刻芸術陳列室、碑林の3部分に分かれている。現在、館内には碑林と石刻芸術が一堂 に集められ、碑林は特に有名である。

石碑の総数は2000点以上にも上る。その入口に玄宗 皇帝直筆の碑があり、中に65万文字に及ぶ十三経の石碑 が並び、王義之、欧陽通、慮世南、顔真卿ら書道大家の原 刻碑100基も展示されている。キリスト教伝来の「大秦 景教中国碑」も入っている。
碑林博物館の案内
所在地 : 西安市三学街15号
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西安城壁
西安の城壁は、明時代に作られた城壁で、世界にまだ残っている城壁の中で最大の規模を持つものです。西安の城壁は市街地をぐるっと囲む形で作られていて、ほとんどの部分が元の姿のまま。
周囲13.7km、高さ12mで、城壁の上部が15mと幅広の通路になっているので、自転車を利用して観光する人もいるんですが、歩いて見学する観光客がほとんど。西安の城壁は高いので、そこからの展望が素晴らしく、そこからの景色は絶景です。
城壁には、西門、南門、北門などの門があります。西門はシルクロードの隊商が出発する時に使った門で、その門の近くには、像が建てられていますが、これは、2千年以上も続いたシルクロードの交流を記念して作られたものなんです。
3.西安鐘楼
西安鐘楼は西安の城壁内にあり、釘を全く使わないで造られた木造建築です。建物は外から見ると3階建てのように見えますが、実際中に入ってみると、2階しかありません。外の余分な1階は飾りなんですね。2階のベランダには大きな鐘が吊るされ、昔はこの鐘をついて時を知らせていました。
西安鐘楼は、西安の城壁の真ん中にあって、そこを中心として東西南北に道路が伸びています。鐘楼を観光するときは、地下道を利用します。この地下道には観光客用に、お土産屋さんがたくさんお店を開いて西安の民芸品などを売っています。
鐘楼の2階の広間には中国の民族楽器が飾ってあり、時間を決めて観光客のために中国の音楽を演奏してくれます。夜になると鐘楼がライトアップされるので、昼間とは違った建物の風景を楽しむことができます。
4.イスラム教徒地区
西安の市街地の中心から100mの所にあるイスラム教徒地区は西安のユニークな観光スポットとして人気を集めています。西安シルクロードの出発点だったので、西側の異文化がたくさん入ってきました。その一つがイスラム教だったんです。現在、この地区の周辺には、約5万人のイスラム教信者が住んでいて、モスクと呼ばれるイスラムの寺院が10院もあります。
それなのに、同じ地域に中国の城隍廟もあるんです。城隍廟というのは、その地域にある城を守る神様を祀るところで、西安の城隍廟は中国の「三大都城隍廟」の一つに数えられています。
また、ここにある「美食街」では2つの文化を同時に味わうことができ観光客に人気です。特に有名なのが、イスラムの「羊の肉」と中国の「肉まん」を合わせた羊の肉まんです。イスラム教徒地区を観光するときはぜひ食べてみてください!
5.西安のモスク清真大寺 
さきほど紹介したようにこの地区にはイスラム教の寺院が10あります。その中心となっているのが清真大寺です。清真大寺は、西安市街地の鼓楼のすぐ近くの化覚巷にあるため、化覚巷清真大寺とも呼ばれています。また、西安の大学習巷の東側にあるため、東大寺という別名もあります。
清真大寺には院が4つあり、第4院は礼拝大殿と呼ばれ、毎日5回礼拝に訪れる約千人の信者を収容する場所になっています。そのため礼拝大殿はかなり大きく1300㎡あります。礼拝堂の壁には唐草模様などの伝統的なイスラム芸術があしらってあり、またアラビア文字もたくさん見られます。中国という異文化の中にあるもう一つの異文化で、コスモポリタン西安らしい観光スポットだと言えます。

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中国陝西省省都西安。古くは中国諸王朝の都であった長安でした。この歴史的な街には、多数の文化的な遺産があり、国家歴史文化名城にも指定されています。中でも、「世界八大奇跡」といわれ有名な兵馬俑は、世界遺産にも登録され、多くの観光客が訪れています。その他にも、明朝に建てられた西安鼓楼、「石造の歴史書庫」と言われている碑林博物館など、歴史的に価値ある見どころが満載です。
中国の西安と言えば、孫悟空でおなじみの「西遊記」で知られているところです。西安は古代中国の都で、昔は「長安」という名前で呼ばれていました。長安は1100年以上も中国の都で、現在では世界各国から観光客が訪れます。
西安はまた、シルクロードの東側の出発地点で、イスラム教との文化の十字路でした。長い歴史と多様な文化を持った西安には、偉大でユニークな文化史跡がたくさん残っています。ここでは、そんな西安の見逃したくない観光スポットを12選ご紹介します。
1.秦始皇兵馬俑博物館 
秦始皇兵馬俑博物館は、世界遺産に指定された、西安を代表する史跡の一つです。この史跡発見のエピソードはご存知の方もいるのではないでしょうか。
1,974年、西安に住む農家の楊志発が、水を探して地面を掘った時に、地下の空洞の中にたくさんの陶製の人形が並んでいるのを見つけました。発掘では、兵馬俑と呼ばれる陶製の将軍・兵士・軍馬などの像が約8千本、青銅器が4万点見つかりました。兵馬俑はなんと2千年も前に作られたもの!しかも像の顔の表情は一つ一つ違っているんですよ。
また、色の付いた陶製の像も見つかっていて、最初はどの像もきれいに色がついていたことがわかっています。現在は西安の観光スポットとして整備され、観光客は博物館の窓際に沿って作られた通路から全体を見ることもできます。
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華清池
市内から東へ30キロ行った郊外の驪山のふもとにある有名な温泉池である。周代から三千年以上の歴史を持つ。唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスがこの地を最も有名にしている。
3000年前に、この山が爆発して温泉が湧き出たため、歴代の皇帝も、ここを行楽の地として大掛かりな造営をした。玄宗皇帝も華清宮を作り、毎年冬から春にかけて、楊貴妃を伴い、酒楽の日を明け暮れ多くのロマンスを生んだ。「春寒くして浴を賜う華 清の池、温泉の水滑らかに凝脂を洗う。」白楽天の「長恨歌」は二人の愛情を如実に歌うと同時に二人の贅沢きわまった生活振りも反映している。
現在、かつての楊貴妃が「凝脂」を洗っていた浴槽が昔のまま保存されている。楊貴妃が入浴したとされる「海棠湯」は、海棠の花の形をしている。玄宗が入ったといわれている「蓮花湯」と「海棠湯」、「星辰湯」は復元され華清宮御湯遺跡博物館として一般公開されている。湯泉は、現在でも入浴でき、リューマチや関節炎に効果があるという。華清池は、1936年に西安事件が起きた場所としても有名である。
浴場の遺跡
蓮花湯
この華清池は唐の詩人白楽天の「長恨歌」に歌われた唐の玄宗皇帝と楊貴妃とのラブロマンスの舞台として有名。「春寒くして浴を賜う華清宮、温泉の水滑らかにして凝脂を洗う」と楊貴妃がここの温泉で美しい肌を洗ったと言われる。
敷地の中にある御湯遺跡博物館では、楊貴妃が好んで湯浴びした海棠湯、玄宗皇帝と愛を育んだ蓮華湯、宮女専用の尚食湯、太子湯など浴場の遺跡が発掘され、一般に公開されている。
楊貴妃
楊貴妃は、原名:楊玉環、中国陝西省出身です。音楽、歌、踊りにも長じた傾国の美女です。唐の皇帝、玄宗の十八番目の息子の妃妻でしたが、玄宗皇帝に見染められ、宮廷の女官になりました。後の天宝四年(745年)、貴妃に封じられました。三十八歳の若さで死んだ楊貴妃は中国古代の「美人」と称されています。
楊貴妃墓は、楊貴妃の衣装を入れた墓です。咸陽市興平県馬崽鎮の西側から500メートルに位置し、西安から60キロメートル離れています。玄宗皇帝が寵愛した貴妃の墓として、1200年も経ちました。現在は陝西省の文物保護単位で、中国AA級の観光地です。墓は半球状を呈し、3メートルの高さで、青レンガで積まれています。後ろに高さ6メートルの楊貴妃の大理石塑像があります。歴代の文人玄宗皇帝とのラブストーリをたくさん書き、楊貴妃墓は世の中によく知られるようになりました。
台形の楊貴妃墓園は山に寄り掛かり、気迫があります。園内には唐献殿、青レンガ墓があり、両側には唐の文人たちが書き付けた詩の石刻32基、300以上の詩が含まれています。園内には勝景園、太真閣、望都亭、観音殿など、唐の時代を真似して建てられた建築もあります。そして、ボタン園や桃花園、観魚池などもそれぞれ分布しています。
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小雁塔
市内の南門から約3キロのところにある。長安のほぼ中心に位置する高さ43.3メートルの塔で、薦福寺の境内に建っている。大雁塔と比べて小さいことからこの名がついた。塔は高僧の義浄が天竺から持ち帰る仏教の経典、仏図などを保存するために建てられる塔です。薦福寺は、684年、則天武后が高宗の崩御百日忌に、その冥福を祈るために、創建した寺であるが、現在は寺院建築は残されていない。当時の塔は15階建てであったが、地震で二階部分が崩れ、現在では13階建てになっている。
小雁塔の「神合」
長い年月の間に、小雁塔には「神合」といわれる歴史的な出来事があった。1487年、震度6クラスの大地震が発生し、塔のまん中に、1本の大きな亀裂が入った。34年後の1521年、再び大地震に見舞われ、その時に、一晩にしてその亀裂がふさがったという。
人々はこれを不思議に思い、小雁塔がもとの状態にもどったことを「神合」と呼んだ。1555年9月、王鶴という役人が故郷へ帰る途中、小雁塔に投宿した。その時、この不思議な「神合」の話を聞いて驚き、その内容を、塔北側の入口の横木に刻んだ。
建国後の修復時、「神合」ではなく「人合」であることが判明した。当時の大工が、西安の地質状況を考えて、塔の基礎部分を、土を固めた半円状にして、揺れを分散させていたのだ。そのため小雁塔は、起き上がりこぼしのように倒れることなく、70回以上の地震にも耐えられたのだ。昔の匠の高度な技術に感嘆せずにはいられない。
乾陵
西安の西北約80キロの乾県に位置する乾陵は、唐代の第3皇帝の高宗、李治和とその皇后で中国唯一の女帝であった武則天則天武后)の陵墓で、“唐十八陵”の中で保存状態が最もよい皇帝の陵墓といわれている。 また、中国の歴史上で唯一、二人の皇帝が一緒に葬られている珍しい墓でもある。
かつては内壁と外壁で城壁が囲まれていたが、現在外壁はすでに消失している。参道には馬、高宗の葬儀に参列した外国の使節や、武官、文官、献上された動物をかたどった石像が120体ほど並んでいる。
陵墓の南東には太子や皇子、公主(皇帝の娘)など17の陪塚があり、永泰公主、章懐太子、懿徳太子の墓はすでにすでに発掘が済んでおり、4300点あまりの出土品が乾陵博物館に展示されている。 17歳で自害させられた高宗の孫娘、永泰公主の墓に描かれた美しい官女たちの壁画は当時の工芸技術の高さを物語る。
梁山には3つの峰がある。北の峰が海抜1047.9mと一番高く、合葬墓はこの峰にある。南にある二つの峰はそれより低く、東西に対峙するその中央に「司馬道」がある。この二つの峰は「乳峰」と呼ばれる。唐高宗と則天武後の地下宮殿は盗掘にあってないというがまだ未発掘である。博物館は永泰公主墓の側にあり、乾陵を中心とする墓群で発掘された文化財が多数展示されている。墓内には、日本の高松古墳のような壁画が見られる。
唐高宗陵墓碑は、高さ2m。もともとあった碑は破損しており、現在の碑は清乾隆年間に建てられたものだ。この碑の右前方には、郭沫若によって「唐高宗李治与則天皇后之墓」の12文字が書かれた碑がある。
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