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西安観光

『袁家村』関中民俗文化体験地

袁家村

袁家村は咸陽市ではじめに富裕になった村の一つです。咸陽市礼泉県に位置しています。西安市内より30キロ離れています。袁家村では、中国の昔の雰囲気ある古い町並みと関中地区の民俗と西安のおいしいグルメを楽しめる地です。

民間風俗体験一条街

村の出入り口の民間風俗体験一条街は童済公、五豊堂、永泰和、同順堂、五味斎、影芸堂、天一閣、盧記豆腐などの伝統的特色を持つ老舗を再現し、また油坊、布坊、醋坊、茶坊、面坊、辣子坊、豆腐坊、醪糟坊、薬坊など、体験できます。

西安農村生活文化

現在、環境保全、生態保護、緑色農業の観念の発展に対応し、無煙工業・観光業の開発に力を入れ、関中農村の明清から現在までの農村生活文化の変遷を展示しています。

陝西名小吃

ここの一番の楽しみ方は『食べ歩き』です。陝西省各地の名小吃を探し、おいしいグルメを少しずつ買って、歩きながら、いろんな味を楽しみ、西安周辺の農村の風景を見ながら、関中の人々の生活の匂いを実感しましょう。
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西安名小吃|西安グルメ

Biangbiang麺など西安名小吃
西安の食の文化は歴史が長く、独自の特色ある食文化を形成しています。餃子が特に有名です。 この西安の中華料理は独特のもので、小麦粉、羊肉、スパイス、香り油(辣油、葱油、山椒油等)などが使われており、今までの 中華料理とは異なり、とくに刀削麺、Biangbiang面、餃子、小龍包などはその味に驚愕することのでしょう。

西安の麺

西安の料理は主に陝西地方の特色を活かしていますが、中国各地の料理が一体となっているものも多く、種類は豊富で料金も安いのが特徴です。市場は夜になると明るくなり、西安の観光名所のひとつにもなっています。

Biangbiang麺

Biangbiang麺

関中地方で日常に食べられている粉食のうち、蒸しパンに次いで多いのがこのビャンビャン麺(現地ではBiangbiang面とよく表記されています)でしょう。Bビャンビャン麺は陝西省関中地方の伝統的な食べ物で、関中地方産の小麦粉で作られた長く幅広い麺です。陝西の十大不思議のひとつとして、「ベルトのような麺」と言われているほどこの麺は有名です。ビャンビャン麺のBiangという漢字は複雑で書きにくく、辞書でも調べられないため、本にもめったにでてないのが残念で仕方ありません。北方の人はこの料理を大好物としています。

肉夹馍(ロオジャーモー)

肉夹馍(ロオジャーモー)

肉夹馍(ロオジャーモー)は中国風焼ききパンの中にみじん切りした肉を入れた食べ物です。肉夹馍(ロオジャーモー)は陝西(西北地区の大部分)の人気料理で、戦国の時代にも遡ることができるほど歴史のある料理です。当時は寒肉と称されていたそうです。肉夹馍(ロオジャーモー)は肉汁溢れる肉と白吉馍(やきパン)が相まって最高の味となり、世にその名を知られることになりました。中国風ハンバーガーという美称も与えられました。

羊肉泡馍(ヤンルーポーモー)

羊肉泡馍(ヤンルーポーモー)

羊(牛)肉泡馍(ヤンルーポーモー)は西安市で有名な軽食として人々に親しまれています。上等な牛肉あるいは羊肉に香辛料を加え、鍋で煮込んでできたシチューの中に、小さくちぎった焼きパンを入れた料理です。パンを食べ終えた後に、スープを飲んでいただくと、香りは口いっぱいになります。ニンニクの砂糖漬けを一緒に食べると味はより一層よくなります。羊(牛)肉泡馍(ヤンルーポーモー)は西安の飲食文化を代表する食べ物だと言えるでしょう。

涼皮(リャンピー)

涼皮(リャンピー)

涼皮は、2000年以上の歴史をもち、秦の始皇帝への献上物として用いられたとされています。涼皮はコメの粉を糊状にして、竹のせいろに薄く入れ、強火で蒸した食べ物で、薄く、柔らかくて独特の味をもっています。涼皮を千切りにし、野菜やもやしなどを入れ、調味料を加えて食べます。美味しさのコツは唐辛子の油にあり、辛くて香りいっぱいなので、西安で凄く人気があります。暑い夏に、涼皮と肉夹馍(ロオジャーモー)は欠くことのできない料理です。

餃子宴 餃子フルコース

餃子宴 餃子フルコース

餃子宴は西安で有名な宴席で、食材、作り方に凝っているほか、形も見た目も美しく、味はもちろんいうまでもありません。この宴席には様々な餃子が供されるので餃子宴と名付けられました。

灌湯包(小龍包)

灌湯包(小龍包)

灌湯包は食材に凝っているほか、皮を包むのに熟練を要します。灌湯包は、小麦粉を湯で練って皮を作り、餡にはばら肉と新鮮な骨髄を用い、十種以上の調味料を入れて作られています。出来上がった灌湯包は見かけも綺麗で、スープも濃厚ですが、脂っこくありません。

岐山臊子麺

臊子麺

岐山臊子麺は陝西省関中地区の伝統的な麺料理で、長い歴史を持つます。岐山麺は細長くて厚さが均一で、喉ごしが爽やかです。スープは酸味を帯びた辛さで麺にこしがあり、年齢を問わずに好まれます。岐山麺は関中地区では重要な地位を占め、冠婚葬祭や年越し、子どもの生後1カ月や高齢者の長寿の祝いの席、親戚や友人をもてなす際などに欠かせない料理です。
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西安観光 西安大雁塔 西安大慈恩寺

西安大雁塔 西安慈恩寺
2014年6月22日に世界遺産総会で、シルクロードで、世界文化遺産に登録しました。
隋の時代に長安城の南に無漏寺という寺が創建されました。「漏」とは煩悩ということです。ゆえに無漏寺は煩悩を超えた悟りの世界、すなわち浄土の世界をめざすとうかがえます。後に唐の三代皇帝高宗が亡くなった母・文徳皇后の冥福を祈るために、高宗の皇太子時代の648年に無漏寺を皇族寺院に増築しました。それと同時に、寺の名前を大慈恩寺に改めました。当時、大変な人望を持った高僧・玄奘三蔵法師が大慈恩寺の初代住職の任に当たりました。それから玄奘は12年にわたって経典の翻訳に携わっていました。有名な般若心経がここで彼の手によって訳されたと伝えられています。
大雁塔 大雄宝殿
三蔵法師河南省で生まれ、628年から国禁を犯してインドを訪れ、大乗仏教の立場から勉強に努めていました。その間、小乗仏教の僧侶たちとの弁論大会において、彼は優勝を取ったといいます。そうすると、彼本人だけでなく、その国籍・唐の王朝の名も高めました。中国人に仏法を弘めようとして、645年に帰国の途につきました。当時、インドから657部の貴重な経典を持ち帰りました。のみならず、玄奘は唐の太宗から依頼されて17年にわたった旅を『大唐西域記』に整理しました。これは後の『西遊記』のモデルにもなっています。
大雁塔 三蔵院
経典の保存という考えでしたから、玄奘は仏塔の建立を高宗に願い出ました。そこで652年に大慈恩寺の境内に一基のタワーがきれいにそびえるようになりました。玄奘がインドの雁塔をまねて設計したことによって、同じく雁塔と名付けたそうです。数十年後に長安城内にもう一つの雁塔が建てられました。二つのタワーを見分けるように、新しい雁塔はゆるやかなカーブを描き、細長く見えるから小雁塔といい、古い雁塔は軒と軒の間隔を広くとった楼閣式で、雄大に見えるから大雁塔といいます。
大雁塔 ライトアップ
最初、大雁塔は五階建てでした。則天武后の時に大改造を行って十層になりましたが、その後の戦乱によって七層から上が崩壊してしまいました。現在の塔は煉瓦造りの七層で、高さ64m、中に螺旋階段があり、最上階まで登ることができます。各層の四方にあるアーチ型の小窓からの眺めがきれいです。すでに1300年を経過し、震度7以上の地震に2度見舞われた大雁塔は、唐代の仏塔の姿を最もよく留めるから、西安のシンボル的存在として親しまれています。
大雁塔北広場~西安イルミネーションツアー
大雁塔北広場は西安のシンボル、西遊記三蔵法師のお経を保存する為建立された大雁塔の北側にある広場です。この広場は、大雁塔を中心として、唐の歴史文化を尊重した現代唐風の町を目指して、作られた中国唯一の唐文化広場です。大雁塔を最も美しく望むための仕掛けとして、中央に塔を映す水面、周辺に緑陰ゾーンを設けました。
伝統的都市形態「里坊の格子」や長安の城郭パターンを反映し、9つの階段状の水面と周辺に格子状グリッドのあるシンプルな構成としました。水面は、階段を流れる水流、鏡の水面、壮大な噴水で構成されており、普段は水が抜かれ、全体が一体的に利用できる広場となります。とくに、平日1日に2回の音楽噴水ショー には、毎日多くの人々が訪れ、水と光と音楽の演出を楽しむなど、市民の憩いの場として親しまれ、新しい観光スポットとして多くの人を集めています。大音量の音楽に合わせて上がる噴水ショーの気勢が雄壮偉大ですし、ライトアップされた大雁塔の夜景が美しくて、夏は、夜になると人々が集まり、風景を楽しみながら、夕涼みに大変楽しんでいるようです。

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中国西安観光 兵馬俑

中国陝西省省都西安は昔、長安とも呼ばれていて、前漢時代から唐の時代にかけて中国の首都として栄えました。特に、唐の時代には人口が100万人を超え、古代ローマ帝国と同様に世界一の大都市でありました。漢の成立の少し前に中国を始めて統一した始皇帝で、その陵墓の副葬品こそ、世界遺産の超有名な兵馬俑遺跡があり、入館料が150元(約2,700円)で、激高ですが、見る価値は絶対的にあります。

始皇帝の陵墓を守るべく作られた等身大の人形の地下軍人のことを表現しています。兵が兵俑、馬が馬俑、併せて兵馬俑と名付けます。

2200年前、作られたものがほぼ原形を留めて、現代に現れたのだから驚きの連続です。発掘した瞬間から急速に酸化したらしいのですが、それでもすごいです。作成当時、人形には着色してあります。1号坑、2号坑、3号坑で合わせて8000体の兵馬俑が見え、そのスケールに感心されます。西安観光時、絶対、西安観光のメインの観光箇所・兵馬俑へ見に行ってください。

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西安 現地ツアー

咸陽市旅行観光ガイド

中国陝西(せんせい)省、渭水(いすい)北岸にある工業都市。紡績工業が盛ん。秦(しん)代の首都。人口、行政区95万(2000)。シエンヤン。中国,陝西省中央部,西安北西方の都市。渭水(いすい)北岸に臨み,秦の都で,始皇帝阿房宮の故地として知られる。隴海(ろうかい)鉄路に沿う。付近は肥沃な灌漑(かんがい)耕地で,綿花?麦類の産が多く,これら農産物の集散地をなす。

咸陽市(かんようし)は、中華人民共和国陝西省に位置する地級市。かつては秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山と丘と阜などの南側、河と江と川と湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山(きゅうそうざん)の南、渭水の北に当たり「咸(みな)陽」なためにこの名前がついた。前352年に孝公が咸陽城を造り、都をここに移した。その後、始皇帝により阿房宮造営の大規模な工事が行われ当時としては稀な巨大都市になっていった。始皇帝死後も工事は続けられたが、二世皇帝胡亥?三世子嬰の代になっても阿房宮は未完成のままであった。紀元前206年に阿房宮項羽により焼き払われたというのが、現代までの定説であったが、2003年に焼き払われてはいないと言う説も登場した。ちなみに、その後楚漢戦争に勝利した劉邦により、渭水を渡って咸陽南郊の長安前漢王朝が築城し首都に定め、長安が繁栄していった。

戦国時代の前350‐前207年の秦の都。現在の陝西省咸陽市の北東約10kmの窯店公社にある。城壁は一部を除き明確でないが,渭河をまたいでほぼ15km四方の範囲と推定されている。城内の北方高地は宮殿区で東西に多数の宮殿基址がある。そのうち1号と3号の両宮殿址が調査された。1号宮殿址は1974‐75年の調査で,牛羊村北方高地上にあり,中間に牛羊溝をはさんで東西に対称に回廊で連なり,両側におのおの東西68m,南北45mの2層の版築土台を心とした木造瓦葺の3層の殿閣であったことがわかった。戦国時代、現在の市街の東方に秦(しん)の孝公(在位前361~前338)が初めて都城を築いて以来、秦の国都として繁栄した。とくに始皇帝は天下を統一する(前221)と、全国の富豪12万戸をここに移住させ、また自分が破った諸侯の宮殿を模倣した宮殿をここに建造して、諸侯の妻妾(さいしょう)たちを住まわせたので、宮殿の数は270に上ったという。さらに始皇帝は、渭河の南岸にも阿房宮(あぼうきゅう)を造営し、閣道(かくどう)を渭河に渡して咸陽の宮殿と連絡させようとしたが、秦が滅びると、咸陽の宮殿、阿房宮ともに項羽(こうう)によって焼き払われた。このとき阿房宮は3か月間にわたり燃え続けたという。現在の市街は明(みん)代からのもので、紡績工業を中心とした新興工業都市となっている。

始皇帝より、天下統一によりこれを全域に及ぼしたのである。民間から武器を没収して国都の咸陽に集め,鐘鐻などの楽器や金人を鋳造して宮廷に並べ,また地方都市の城郭を取り除かせた。度量衡を統一して基準の量器を全国に配布し,車軌を一定し,標準となるべき文字(篆書(てんしよ))や貨幣(半両銭)を制定した。

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西安 ツアー 格安

延安市(えんあんし)は、中華人民共和国陝西省に位置する地級市です。中国の陝西省北部の都市。西安の北方約250キロの地点にあります。1935年10月に長征を終えて陝西省呉起鎮に入った毛沢東の率いる中国共産党は、1937年に拠点をこの地に移し、1947年まで本拠として、国民党軍、日本軍と戦った。現在では中国共産党の「聖地」の一つとなっています。1937年から1947年まで中国共産党中央委員会が置かれ、この期間中に毛沢東の党内主導権が確立したことから、中国革命の聖地とされます。延安は陝西省の北部の黄土高原地帯に位置し、現在の気候は大陸性気候で四季ははっきりとしているものの乾燥しています。黄河本流最大級の滝、壷口瀑布があります。

秦による統一後も、咸陽あるいは長安の北辺の防衛拠点として重要な位置にあり、引き続き高奴県が設置されています。漢代にも引き続き高奴県は設置されており、漢書地理誌には『高奴県有洧水、肥可燃』とあります。これが中国の史書における石油の記述の初出であるとされます。その後、6世紀に西魏により延州が設置され、これ以降は高奴県の名称は消えます。隋代に延州は延安と改称され県から郡に昇格しました。これより後、この地は延安と呼ばれることになります。明朝は延安府を設置、明末には農民反乱の拠点となり高迎祥、李自成、張献忠などが延安地区を拠点に反明活動を行いました。清朝は明朝の制度を踏襲、延安府の下に3州(富州、綏徳州、葭州)、16県(膚施、安塞、甘泉、安定、保安、宜川、延川、延長、清澗、洛川、中部、宜君、米脂、呉堡、神木、府谷)を管轄しました。雍正年間になると三州は直隷州に昇格、延安府の管轄は8県(膚施、安塞、甘泉、安定、保安、宜川、延川、延長)。とされ、乾隆年間に定辺県及び靖辺の2県がその管轄とされました。清代の事跡としては同治年間に張宗禹による農民反乱が発生、左宗棠により鎮圧された事件、清末に延長石油官廠を設置し、中国における初めての油田開発が行われています。1913年、市域には陝西省楡林道が設置されました。1928年に道制が廃止されると各県は省直轄とされましたが、1935年9月に行政督察区制度が施行されると北部は第2、南部は第3行政督察区の管轄区とされました。長征の最終目的地となった呉起鎮(1935年10月到達)から保安を経て、1937年から1947年まで中国共産党中央委員会が置かれ、毛沢東が延安の窰洞を拠点に抗日戦線の指揮を行いました。また、『新民主主義論』『持久戦論』『文芸講話』『連合政府論』など、毛沢東の主要著作とされる論文執筆をおこなりました。これらの事跡によって革命の聖地とされています。1942年1月には行政督察専署が設置され延安市(1949年改称延安県)、富県、甘泉県、志丹県、安塞県、子長県、延川県、延長県、固臨県の1市8県を管轄しました。1949年5月、陝北行政区を設置、楡林、三辺、綏徳、黄竜の4分区及び延安、延長、延川、子長、安塞、志丹、甘泉の直轄県を統括しました。

延安は、かの有名な中国共産党が国民党との対立の最中、一時的ながら拠点を置いていた街であり、近代中国の歴史において、その名は欠かせないものとなっています。また、かの有名な毛沢東中国共産党を率いるようになり、多数の論文を記したのもこの街です。そうした経緯から中国共産党の聖地として知られる延安の、革命の歴史や、現在の中国のルーツを辿れる観光スポットをご紹介します。唐の時代に都が置かれた長安西安)から北にある街「延安」。周囲は山に囲まれ、川に沿って街が形成されています。中国国共内戦(国民党と共産党の対立)で毛沢東率いる共産党指導者が一時、本拠地とした場所が延安です。延安はその共産党の革命の起点となった場所といわれ、中国近代史において必ず登場する重要な場所の一つです。そのため中国共産党の聖地ということで観光に訪れる方もいます。現在も続く「中国共産党」のルーツを探るのにはぴったりの観光スポット延安。革命の始まりとなった観光地を中心に紹介していきます。

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西安 兵馬俑 現地 ツアー

昔、西安長安と呼ばれていた。長安黄河文明の発祥地の一つで、アテネ、ローマ、カイロと並び、世界四大古都と称される。西安は中国で最も早く建設された、最も長い歴史を持つ古都で、現在までに3000年余りの歴史を持つ。紀元前11世紀より、秦(紀元前221-206年)、漢(紀元前206-後220年)、唐(618-907年)といった中国史上最も繁栄した王朝を含む13王朝が西安に都を置いた。東洋と西洋の文明交流を促進するシルクロードも、西安から西に向かい延びていった。悠久な歴史は貴重かつ豊富な遺跡を残した。西安には中国で最も保存状態の良い城壁と、仏教名塔の大雁塔がある。また周(紀元前1046-256年)、秦、漢、唐の四大遺跡、3ヶ所の国家森林公園、その他の観光名所がある。保存する各種文化財は12万点余りに達し、国内外でも珍しい貴重な品々を保存している。西安は、兵馬俑や青銅器の模造品、唐三彩、関中切り絵などのおみやげ品が豊富だ。独特な西安グルメも人気が高い。陝西省域内に散在している72の歴代の帝王陵墓は、当時の社会の経済や文化を再現するための証拠となっている。黄帝陵、兵馬 、法門寺、西安碑林、陝西歴史博物館、西安古城壁など「十大観光スポット」は、いずれも「中国の最たるもの」と称される。秦の始皇帝陵と「世界第八大奇跡」と称される兵馬 はユネスコによって世界文化遺産リストに登録されている。

歴史的な文化財が豊富な陝西省は、その土地ならではの重厚な歴史を感じさせるが、名山と大河の数々も魅力の一つだ。パンダ、ゴールデンモンキー(キンシコウ)等の希少な野生動物が生息する秦嶺山脈の中部、その険しさで名を馳せる華山、中華民族の母なる大河・黄河陝西省に位置し、壺口瀑布などの美しい景観を生み出している。陝西省では、伝統劇の秦腔、人形劇の木偶劇、影絵芝居の皮影劇、陝西北部のヤンコ踊り、農民画、切り絵、泥人形などの民間芸術を楽しめ、羊肉泡モー(食+莫)などの独特なご当地グルメを楽しめる。

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