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法門寺 西安観光 西安旅行

法門寺の入場料:120元   法門寺の開館時間:08:00-18:00
法門寺の住所:陝西省宝鶏市扶風県北  法門寺の電話番号:0917-5255296
法門寺の概況:
法門寺(ほうもんじ)は西暦499年頃建設された仏教寺院です。、唐の時代には全盛期を迎え、5000人余りの僧侶を収容できるほど、とても大きなお寺でした。また、ここは、釈迦の真身舎利を安置している点で有名です。そして30年ほど前にこの寺の下から地下宮殿が発見され、そこからたくさんの宝物も発掘されました。2000年にはサントリー美術館にも一部出展されました。
西安西ルート 法門寺
法門寺(ほうもんじ)は西安から138キロ離れた宝鶏市の扶風県にあり、後漢の恒帝と霊帝の時代(147-89)に建立されたお寺です。境内には塔があり、法門寺はこの塔で有名です。 後漢の時代から北魏の時代まで、阿育王(アショカ)寺と称されました。アショカ王は古代インドの国王で釈迦牟天が入寂した200年後、(前 272-前226)仏の骨(舎利)を八萬八千四百に分骨して世界各地に塔を建て供養したと伝えられています。中国では19基の仏真身舎利塔が建立されましたが、法門寺塔はその中で第五基といわれています。
法門寺 十八羅漢
隋の文帝開皇三年(583年)にこの寺は成実道場と改名され、唐の高祖の武徳七年(624年)に法門寺と名付けられました。1981年大雨で法門寺の塔が半壊したため、1987年から基礎部分を含めた修理を行うと、地下に唐代に造られた石室「地宮」が見つかりました。地下宮殿から出土された四つの仏舎利の指は、目下のところ、世界で考古科学の発掘と文献や碑文を通じて釈迦牟尼の本物の仏舎利であると実証されており、現時点で仏教界の最高の聖物と言われています。一方、専門家の分析によると、地下宮殿の中で発見された四つの仏陀の指骨、その中で本物の仏陀の指骨は一つだけで、その他の三つは本物の仏舎利を保護するために模造された「影の骨」であるという見解もあります。どうあれ世界でわずかに残されている貴重な発見であることは確かです。地下宮殿の後方にある八重宝函には、仏舎利を入れるために金銀、真珠、宝石、玉石、象牙で作られた入れ子細工の箱が陳列されています。
法門寺はとても有名な名所旧跡ですし、去年より改造工事が終了でき、アジア一を誇る仏教広場ができ、電気カートなどの施設も整いていますし、西安御旅行の際、ぜひ、法門寺観光をお楽しみください。
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乾陵と永泰公主墓 西安観光

乾陵と永泰公主墓 西安観光
乾陵(けんりょう)
西安渭河の北にある乾陵は、中国の2000年以上にわたる封建的歴史の中で、唯一つの、二人の帝王が、それも夫婦である皇帝、唐高宗と則天武后が共に埋葬された陵墓です。則天武后は中国史上唯一の女性皇帝であり、伝奇的生涯を送った彼女の死後、この陵墓の前に巨大ながを建てられましたが、文字は書き入れられてないですので、「無字碑」と呼ばれています。参道の両側に石刻人形、石刻獣、華表(立石)がずらりと並んでいます。ペルシャから伝わった翼のある馬ペガサスやシルクロードにより中国に伝わったダチョウが代表作で特に見たいです。そして、乾陵はいま世界文化遺産リストにその名を並べるため申請が行なわれているのです。

永泰公主墓(えいたいこうしゅぼ)
永泰公主墓 壁画
永泰公主(えいたいこうしゅ)は、高宗と武則天との孫娘ですが、この墓は乾陵の近くにあります。永泰公主は、17才の時、武則天を批判したことで殺された悲運の皇女です。
墓は地下にあり、石の階段を降りて行くと地下室があり、大きな石棺があります。地下の墓道から墓室まで、唐時代の武士や女官 、青龍、白虎など、くまなく壁画が描かれていました。
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西安楊貴妃墓 西安観光地・西安旅行

西安楊貴妃西安観光地・西安旅行

西安楊貴妃墓は唐代玄宗皇帝・李隆基が寵愛した妃・楊玉環のお墓です。西安から西に約60kmの陝西省興平市西に12キロメートルに位置する「馬嵬坡」と言うところにあります。 
楊貴妃(718-756)は、名が玉環で、号が太真で、中国古代四大美女の一人です。音韵六律を解し、音楽と舞踊に長じていました。容姿端麗、歌と舞踊に長けた楊貴妃はすでに皇子の妻でしたが、玄宗の愛を受け妃となりました。荒廃しつつあった政治を立て直した実力のある玄宗。しかしながら政治への関心は徐々に薄れ、楊貴妃との愛の日々におぼれていきます。楊貴妃の親族が宮廷を牛耳るようになると、それに反旗を翻した武将が兵を挙げました。玄宗楊貴妃長安から逃げますが、その道中疲労と飢えに苦しんだ兵士たちの怒りは頂点に達します。「安史之乱」の混乱の元凶となった楊貴妃の親族を次々と殺し、ついにその矛先は楊貴妃に向けられてしまいました。玄宗は泣く泣く楊貴妃に死を命じ、楊貴妃は現在墓のあるこの地(当時の馬嵬駅)で、強いられて自殺しました。享年38歳でした。

楊貴妃墓墓園は山に沿って建てられ、階段式になっていてとても雄大です。園内には唐献殿、青磚墓塚があります。土で顔を洗うと美人になるという言い伝えから土がなくなるため、現在セメントで覆われています。
回廊の両側に唐代以降の歴朝名士と学士の彫刻と詩32通、詩が300首あまりあり、とても貴重なものです。高さが5.8メートルの楊貴妃の漢白玉彫刻は園内に聳え立ち、高貴でおうようとした様子で穏やかな顔つきをした彫刻の逸品です。
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西安観光地 茂陵

茂陵と霍去病墓
茂陵(もりょう)と茂陵博物館(もりょうはくぶつかん)
茂陵 茂陵博物館
入場料:80元、開館時間:08:00~18:00、茂陵観光の所要時間:2時間

茂陵(もりょう)は前漢皇帝の武帝の劉徹(前156年~前87)の陵墓です。長安(現在の西安)の北西、渭水を隔てた丘陵上にあります。渭北高原の前漢皇帝9帝の陵墓の中、最も西辺にあり、かつ最も規模の大きい古墳で、東西231m、南北約234m、高さ46.5mの方形台状です。陵の西北に李夫人墓があるほか、東方には衛青?霍去病(かくきよへい)墓が北寄りに、霍光(かくこう)墓ほか十数基の陪冢(ばいちよう)が南寄りに、れぞれほぼ東西に列をなします。全国重要文化財に中国国務院に指定されています。

武帝は衛青を将軍に起用し、更に衛青の甥である霍去病も天賦の軍才を発揮し、匈奴を漠北へ追い払うことになりました。数々の遠征によって漢の領土は最大まで広がり、武帝の時代に前漢の全盛期をここに迎えることになりました。さらに張騫を西域へ派遣し、シルクロードを開きました。

茂陵の東側には、茂陵博物館があります。対匈奴戦争の英雄霍去病の墓には茂陵博物館が置かれており、かつてその墳丘を飾っていた多数の石獣を陳列しています。いずれも2メートルから3メートルもあるような花崗(かこう)岩の巨石でつくられており、匈奴の兵士を踏みつけている馬、獲物をねらってうずくまるトラ、ものうげに寝そべっているウシなど、天然の素材を生かした傑作ばかりで、実にリアルで生命感にあふれている巨石の丸彫の珍奇な禽獣です。

霍去病(かくきよへい)は衛青の甥で、甘粛方面の匈奴に壊滅的打撃を与えて西部匈奴の渾邪王を降服させ、前119年には衛青と出撃して匈奴を漠北に一掃する手柄を立てましたが、その2年後に24歳で病死しました。武帝匈奴征討で輝かしい武勲をたてた驃騎将軍霍去病の死を悲しみ、当時寿陵として造営中の茂陵に陪冢(ばいちよう)として、彼の武功を顕彰するために祁連山にかたどった形で、お墓を作りました。
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西安書院門 西安市内観光地

西安書院門

西安書院門~西安観光地・西安旅行の見どころ

古都西安は周・秦・漢・唐など、13代の王朝が都を置いた地です。長い歴史の中、いろんな物語、人物によって、各名勝旧跡の名前を名付けました。

書院門:明代、所在する通りの北側には関中書院があることによって、名づけられました。1966年、健康街とも改名され、1972年にまた書院門と確定されました。于佑任先生は書院門32号に住んだことがあります。書院門の入口には鳥居と唐代の塔があり、北側には明代、建てられた関中書院があります。西安の歴史的な、文化的な古文化一条街だと言われています。

いま、碑林博物館のそばにある書院門には、筆、墨、紙、硯の文房四宝、玉石の工芸品、碑林の拓本、伝統的な楽器など並べてあり、文化的な雰囲気が溢れていて、人気的な街となっています。
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西安観光見所 西安観光名所

始皇帝兵馬俑博物館(しんしこうていへいばようはくぶつかん) 世界遺産 東郊外
中国西安にある世界遺産です。中国最初の皇帝・秦始皇帝に纏わる遺跡です。秦始皇帝陵より東へ1.5キロの処にあり、1974年に地元の農民達が井戸を掘った時、偶然に発見された遺跡で、今世紀最大の考古発見と言われ、世界で八番目の奇跡とも言われております。その権力を示す等身大の兵士・馬・馬車の人形を並べており、秦始皇帝の魂の利用した銅馬車(上海万博でも展示!)展示室もぜひ見たいです。
西安 秦始皇帝陵(しんしこうていりょう) 世界遺産 東郊外
中国西安にある世界遺産です。初めて中国を統一した中国最初の皇帝・秦始皇帝の眠る壮大な地下宮殿です。阿房宮万里の長城と同時に建築した秦始皇帝陵西安より東30キロの処にあり、陵墓自体は高さ47mの墳丘で、単に山の様相しかありません。発掘されていないですが、司馬遷史記によると、始皇帝生前と同じような壮大な地下宮殿があるそうです。

西安 華清池(かせいち)東郊外
華清池は唐代玄宗皇帝と世界三大美人の楊貴妃の温泉別荘遊園地です。白楽天の【長恨歌】の舞台です。その一節【天に在りては、願わくは比翼の鳥となり、地に在りては、願わくは連理の枝とならん】が日本人によく知られています。また、華清池は中国現代歴史でも大事な一ページを占めており、有名な西安事件の起こった地でもあります。

西安 大雁塔(だいがんとう) 西安 市内 観光地 世界遺産
中国西安のシンボル級の建物です。1300年前、西遊記三蔵法師のインドより持ち帰ったお経を翻訳したところです。そのお経を保存するため、三蔵法師が自ら設計し、僧侶を率いて、建立された高さ64m、7階のレンガ造りのタワーです。その頂上まで上がり、大雁塔周辺の奇麗な街景色を見渡すことができます。2014年06月22日に『シルクロード長安から天山南路ルート)』が世界文化遺産に登録され、西安大雁塔はその中の重要な仏教遺跡です。

西安 陝西歴史博物館(せんせいれきしはくぶつかん) 西安 市内 観光地
1973年に周恩来総理のご指示で、建設され、1991年に開館した唐代の建築様式を取り入れた大規模な博物館です。収蔵品が37万点のうち、6千点が常時展示されています。原始社会より近代までの長い歴史を代表する貴重な文化財がここに纏めて、収蔵されていますので、中国の五千年の歴史を一度巡ることができます。特に地下壁画展示室とか、秦代逸品特別見学も手配できます。また、現在は入場無料ですが、入場人数が制限されていて、旅行社予約制で、無料に手配でき、お問い合わせください。

西安 青龍寺(せいりゅうじ) 西安 市内 観光地
西安の仏教寺院です。真言密教の恵果・弘法大師空海ゆかりの寺として、よく知られています。即ち弘法大師空海が習ったお寺です。空海に因縁ある四国四県と日本の真言宗門徒衆は、中国仏教協会及び西安市政府の協力の下に、1982年2月、青龍寺遺跡に空海記念碑が建立されました。記念碑のそばに四つの大きな円形の石燈があります。これは四国四県を象徴しています。

西安 城壁(じょうへき) 明代城壁 西安 市内 観光地
唐・隋時代の城壁をもとにして明代作った現在中国で完全に残る唯一な城壁です。周囲13.7キロで、東西南北に城門が設けられています。そのうち、西城門がシルクロードの源とされ、一番有名です。もう一つの魅力ですが、城壁上で、自転車体験・輪タク遊覧・電気カート遊覧ができます。

西安碑林博物館(せいあんひりんはくぶつかん) 西安 市内 観光地
陝西省の漢代より近代までの貴重な石碑3000点以上を集め、開館した西安碑林博物館です。3000点以上の石碑が立ち並べて、林のように見えますので、名づけられました。石の博物館、書道の博物館、石碑の博物館とも言われ、王羲之顔真卿、柳公権などの親筆石碑がみえ、日本年号の平成、明治、昭和のできた石碑も注目したいです。
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西安 観光 オプショナル ツアー

長安の夢物語・西安入城式典
長安の夢物語・大唐迎賓大式典~西安入城式セレモニー

大唐迎賓大式典

城壁の南門エリアで、国際都市長安を訪れた方々を歓迎する為、『長安の夢物語・大唐迎賓大式典』という西安入場式セレモニーを楽しめます。盛唐儀礼文化をテーマにした大型観光文化実演です。

長安の夢物語シュー

同舞台は盛時の唐時代において貴賓を迎える時の最高の儀礼を再現し、中国唯一の国賓級の迎賓儀式で、唐の時代の装いを纏った人々にその時代の踊りを踊り、行進しながら演じられる体験型の歓迎式典です。

西安入城式セレモニー

毎年4月1日から10月末まで続く実演は、毎日20時から開演し、ゴールデンウィーク国慶節の7連休では、毎晩2回も行われます。旅行社予約制で、ご興味のある方は前もって費用などお問合せ頂き、お早目にお申込みください。
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